「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12・20〜21)
イエス様は、ある金持ちの話を私たちに聞かせてくださっています。その金持ちは、ありあまるほど増えた作物と財産をしまう倉を建てようとしていました。その蓄えたもので、これから楽で優雅な生活を夢見て思わず笑みをこぼす金持ちでしたが、神様は実にその金持ちの命は今日までだと宣言されます。衝撃的な結末を迎えるのですが、結局この金持ちに足りなかったものは何だったかを、イエス様は端的に言われます。それは「神の前で豊かになること」でした。私たちがいくら財産を蓄えても命が尽きてしまうと、おしまいです。永遠に持ち続けることが出来ないのです。もちろん、だからと言って財産を蓄えることが悪いということでは決してありません。神の前で豊かになることも必要であるということを忘れてはなりません。もし、その金持ちが人を愛する心をもっていて、困っている人に、助けを求める人に優しく接し、憐れみを示したのならば、その小さな行いはやがて大きくなって広まって行き、私たちの社会を変革する力あるものまでに変わられたに違いありません。「神の前で豊かになる」ということは、私が本来の私の姿を取り戻し、人格があって優しい心を持つ、まさに神様に似せて造られた天地創造の業に回帰するものを指します。
9月の運動会で撮った600枚の写真の中で心に響くものを選び、補正をかけ、トリミングをするには、大変な時間と努力を必要とするものでした。それらの写真から浮かび上げるものは、大きな感動でした。一段と成長した園児たちの姿、笑顔、涙、汗、掛け声でした。早くて夏休み前から、役割と進め方に苦慮した先生方の指導のもとに練習を重なって来ました。こうやって、園児一人ひとりが、「神の前で豊かになる」ように、自分の持ち味としていろいろな才能を磨き、皆で協力し、表すことができるようになりました。その経験と努力、才能と能力、しっかりと相手を見る力は、誰からも奪われることも、無くすこともない自分だけのものです。簡単に無くなってしまうような富ではなく、立派な姿に優しい心を持つ聖母の騎士幼稚園の皆を誇らしく感じます。
