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「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5・46、48)

時々、イエス様の言葉は厳しく、従うことが難しいと感じる時があります。上の言葉は、私たちの痛いところ、本音の部分を暴くものではないかと、いつも思います。というのも、実は私も、私を愛してくれる人、関心を持ってくれる人、見てくれる人、褒めてくれる人に、心が動くことを感じるからです。イエス様は、そういうことは、「徴税人(当時イスラエルで罪人とされた人たちのこと)」でも出来ていると言われます。いわば、すべての人がそうしているし、それは簡単なことであって、別段褒められることでも何でもないと言われているのです。イエス様は、私たちに、自分を認めない、愛さない、関心がない人であっても愛するようにと命じられています。それが、私たちの本来の姿、神様の似姿として創造された本来の本性であることを教えられています。

朝、幼稚園に行くと、預かり保育に来ている園児たちは自分たちの遊びで夢中になっています。一人ひとり名前を呼び、声をかけると、こちを向いてくれる子どももいれば、そうではない子どももいます。しかし、大人の私たちが、一人ひとりに関心を持ち、声をかけ、褒め、愛する気持ちを伝えて行けば行くほど、子どもたちは笑い、前を向き、輝いて、成長し、大きくなって行くのだと思います。

  暑い夏がやって来ます。楽しいことがいっぱいある季節です。炸裂する太陽に負けず、元気に過ごせますように。
 (サビオ修道士さんが二ヶ月の入院生活を終え、無事に戻って来ました。お祈りとご心配、ありがとう御座いました。園の周りがまた花と昆虫と小鳥、アマガエルで豊かになるだろうと思います。)